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2009年04月01日

桜の森の満開の下3


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 女の夫を切り殺したことは、彼自身にとって思いがけない出来事であったばかりでなく、女にとっても思いがけない出来事でした。
 そのしるしに、山賊がふりむくと女は腰をぬかして彼の顔をぼんやり見つめました。

 今日からお前は俺の女房だと言うと、女はこくりとうなずきました。

 手をとって女を引き起すと、女は「とても歩けないので背中にオブっておくれ」とやっとの声で言います。

「ははは。わかったわかった」
 山賊は笑いながら女を軽々と背負い、歩き出しました。
 しばらく女を背負って歩いた山賊ですが、けわしい登り坂へ付きました。「ここは危いから降りて歩いて貰おうか」と言いました。
 でも、女は男の背にしっかりしがみついて「嫌、嫌よ」と言って降りようとしません。

「あなたのような山男が苦しがるほどの坂道をどうして私が歩けましょう。考えてみなさいよ」
 
「そうか、そうか、よしよし」
 と男は疲れて苦しくても好機嫌でした。
「でも、一度だけ降りておくれ。私は強いのだから、苦しくて、一休みしたいというわけじゃないぜ。
 眼の玉が頭の後側にあるというわけじゃないから、さっきからお前さんをオブっていてもなんとなくもどかしくて仕方がないんだ。
 一度だけ下へ降りて、そのかわいい顔を拝ましてくれないか」
 
「嫌、嫌よ」
 と、又、女はやけに首の根にしがみつきました。

「私はこんな淋しいところには少しでもジッとしていられないヨ。お前のうちのあるところまで一時休まず急いでおくれ。
 さもないと、私はお前の女房になってやらないよ。
 私にこんな淋しい思いをさせるなら、私は舌を噛んで死んでしまうから」 
「よしよし。分った。
 お前のたのみはなんでもきいてやろう」
 
 山賊はこの美しい女房を相手に未来のたのしみを考えて、とけるような幸福を感じました。

 彼は威張りかえって肩を張って、前の山、後の山、右の山、左の山、ぐるりと一廻転して女に見せて、

「これだけの山という山がみんな俺のものなんだぜ」
 
 と言いましたが、女はそんなことにはてんで取りあいません。
 彼は意外に又残念で、

「いいかい。
 お前の目に見える山という山、木という木、谷という谷、その谷からわく雲まで、みんな俺のものなんだぜ」
 
「早く歩いておくれ。
 私はこんな岩コブだらけの崖の下にいたくないのだから」
 
「よし、よし。
 今にうちにつくと飛びきりの御馳走をこしらえてやるよ」
 
「お前はもっと急げないのかえ。
 走っておくれ」
 
「なかなかこの坂道は俺が一人でもそうは駆けられない難所だよ」
 
「お前も見かけによらない意気地なしだねえ。
 私としたことが、とんだ甲斐性なしの女房になってしまった。
 ああ、ああ。
 これから何をたよりに暮したらいいのだろう」
 
「なにを馬鹿な。
 これぐらいの坂道が」
 
「アア、もどかしいねえ。
 お前はもう疲れたのかえ」
 
「馬鹿なことを。
  この坂道をつきぬけると、鹿もかなわぬように走ってみせるから」
 
「でもお前の息は苦しそうだよ。
  顔色が青いじゃないか」
 
「なんでも物事の始めのうちはそういうものさ。
  今に勢いのはずみがつけば、お前が背中で目を廻すぐらい速く走るよ」
 
 けれども山賊は身体が節々からバラバラに分かれてしまったように疲れていました。
 そしてわが家の前へたどりついたときには目もくらみ耳もなりしわがれ声のひときれをふりしぼる力もありません。

 家の中から七人の女房が迎えに出てきましたが、山賊は石のようにこわばった身体をほぐして背中の女を下すだけで勢一杯でした。
 
 七人の女房は今迄に見かけたこともない女の美しさに打たれましたが、女は七人の女房の汚さに驚きました。
 七人の女房の中には昔はかなり綺麗な女もいたのですが今は見る影もありません。
 女は薄気味悪がって男の背へしりぞいて、

「この山女は何なのよ」
 
「これは俺の昔の女房なんだよ」
 
 と男は困って言いました。
「昔の」という文句を考えついて加えたのはとっさの返事にしては良く出来ていましたが、女は容赦がありません。
 
「まア、これがお前の女房かえ」
 
「それは、お前、俺はお前のような可愛いい女がいようとは知らなかったのだからね」
 
「あの女を斬り殺しておくれ」
 
 女はいちばん顔形のととのった一人を指して叫びました。
 
「だって、お前、殺さなくっとも、女中だと思えばいいじゃないか」
 
「お前は私の亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ。
 お前はそれでも私を女房にするつもりなのかえ」
 
 男の結ばれた口からうめきがもれました。
 男はとびあがるように一躍りして指された女を斬り倒していました。
 しかし、息つくひまもありません。 
「この女よ。
 今度は、それ、この女よ」
 
 男はためらいましたが、すぐズカズカ歩いて行って、女の首へザクリとダンビラを斬りこみました。
 首がまだコロコロととまらぬうちに、女のふっくらツヤのある透きとおる声は次の女を指して美しく響いていました。
 
「この女よ。今度は」
 
 指さされた女は両手に顔をかくしてキャーという叫び声をはりあげました。

 その叫びにふりかぶって、ダンビラは宙を閃いて走りました。
 残る女たちはにわかに一時に立上って四方に散りました。






© 早浪討矢 | Comment(0) | 日々のこと
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